中里茂右ヱ門窯について




「世界で最も輝かしい」平戸焼、400年の伝統

慶長3年(1598年)現在の長崎県の平戸藩主・松浦鎮信(まつうらしげのぶ)公が、朝鮮半島より陶工たちを連れ帰ったことに平戸焼の歴史は幕を開けます。
その時の陶工の中でも特に優れた技術を誇ったのが、李朝七世の流れをくむ女性「ルイ女(じょ)」でした。
ルイ女は日本に帰化し、初代中里茂右ヱ門に嫁ぐと、高麗の陶磁技法を伝授しました。焼物といえば土の陶器であった当時の日本において、透き通る白磁を作るべく、ルイ女たちは理想の陶石を求めてさまよいます。そして、雅味を含む天草陶石と網代陶石を発見し、美しい白磁を完成させました。そのため後世の陶工はルイ女を陶器の神「高麗媼(ばば)」として祀りました。その高麗媼を開祖として仰ぐのが、由緒正しき茂右ヱ門窯。平戸藩御用窯として重んじられ、さらに平戸焼宗家として一子相伝の技を守り伝えてきました。
寛文の頃には将軍家、元禄の頃には天皇家ご嘉納の栄誉に浴しています。以来、御上への献上品を筆頭に、藩の調度品から家臣への下賜品、他藩への贈答品など、高級磁器を手がけてきました。19世紀にはオランダや中国へ輸出され、諸国の王候貴族にも愛されました。
明治時代にはパリ万博にも出店、大英博物館をして「世界で最も輝かしい焼物」と称賛されます。
そして現在は、白磁最高の名匠である15代目中里茂右ヱ門氏の作品がルーブル美術館に展示されるなど、平戸焼は世界的な名声を得ています。



一子相伝の神業

作品は陶石の選別から成形、細工、素焼き、釉掛け、本焼き、と全行程を茂右ヱ門氏が一人で手掛けています。気が遠くなるほどの時間と手間を費やした本作品には、一子相伝の平戸焼の技が細部にまで息づいています。
その技量が良く分かるのが、今にも舞い上がろうとする鳳凰の「立体浮彫り」。壷とは別に鳳凰を彫刻することで緻密な造形が可能となります。そして尾羽の一枚一枚まで丹念に絶妙に配置しながら、壷の胴に埋め込んでゆくのです。
さらに、香炉蓋の「籠目透彫り」は高度な技法です。六角形の透かし穴を取り巻くように、小さな三角形の透かし穴があります。良く見ると曲面に合わせて、穴の大きさが微妙に変わっています。この二重透かしを正確に彫れるのは、世界広しと言えど茂右ヱ門氏ただ一人。
本物の花のような「花細工」もまた、当代茂右ヱ門氏の真骨頂。精緻極まる造形には極度の集中力が必要なため、音の聞こえない夜間、一晩を朝まで徹して、ようやく一輪を仕上げます。
そして、透き通る純白を生み出すため、薪をくべ1300度もの高温で一気に焼き上げます。焼成時の縮小を計算に入れ、蓋と胴が完全に一致するように形作らなければならないのです。正しく、長年の経験と勘が全てなのであります。



第十五代中里茂右ヱ門 (辻田輝幸)

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1943年 佐賀県有田町生まれ。平戸焼の宗家として名高い「茂右ヱ門窯」の当主、第十四代中里茂右ヱ門の次男として生を受ける。

12歳の頃から、見よう見まねで白磁造りを始め、優れた感性を発揮した。
中学を卒業後、父である先代に師事し、本格的に陶芸の道を進む。
籠目透かし彫りや菊細工をはじめとする、一子相伝である茂右ヱ門窯の技を受け継ぐ。
以来、一陶工として陶芸一筋に精進。公募展への出展などは求めず、「幻の作品」として愛好家の評価が高まる。


1972年 先代より襲名し、第十五代中里茂右ヱ門となる。
1991年 明治神宮に作品を献納。
1995年 秋篠宮妃紀子殿下に作品を献上する栄誉を得る。
1995年 明治神宮に作品を献納。
1999年 日本陶磁芸術を代表して、白磁の本場である韓国の慶尚南道博物館に作品を所蔵。
2001年 美の殿堂であるフランス国立ルーブル美術館の東洋部門「ギメ美術館」に、作品「籠目透かし唐子香炉」が永久展示される。これにより名実ともに日本白磁の最高の名匠として、国際的な名声を得る。
2008年 長年の陶磁芸術界への貢献が認められ、「佐賀県芸術文化功労賞」を受賞。

白磁の透かし彫りの技では「天下に比肩する者なし」との絶賛を浴び、特に完全な六角形と小さな三角形を形作る「籠目透かし」の彫り技は、全世界においても茂右ヱ門氏以外にはなし得ない。その白磁彫りの技があまりに高度なため、後継者の成り手がいないとも言われる。そのため当代で伝統が絶えるのではないかとの危惧も囁かれ、さらなる希少価値を高め、国内のみでなく海外からも注文が続いている。